許す? 許さない? 許せない?

人の心や体は機械とは違い明確な答えや正解が無い場合もあります。

今日はその中でも ここでは答えが出ないことについて書いていきます。

私は皆さんに答えをご提供できる自信はありませんが、提案をすることはできます。私からのご提案を試す気になったらご採用を一度ご検討ください。

今回は、あなたが抱えているかもしれない「身内、または親を許せない気持ち」について書いていきます。許せない気持ちになった出来事は一概には言えません。一般的な判断の問題の深さではなくて あなたが「許さない。許せない。」と思った体験、記憶、感情についてです。

それを「許す」かどうかという、受け止め方の変化を起こすことについてです。

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最初に私個人について

私はキネシオロジーに出会う前は、世の中の多くの悩める皆様と同じく書籍のなかに答えを求めました。そして、特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、自然発生的に信仰心がありました。

初詣、お盆、お墓参り、仏壇に手を合わせるというような行為はその意味を考える前から行なっていました。ですから、先祖崇拝というような意識や仏教、神道というような要素が入り交ざり、読書の最中に文中に織り交ざっている「教え」のようなものも、それがキリスト教と呼ばれる信仰からきている言葉でもそのまま受け止めたりしたことは確かだと思います。

ですから私の中の「許し」ということについては、特定の信仰の教義に基づくものではなく、許しについて自分はどう思うのか? どのように対処していくのか? を選択していくことになります。

そして、哲学的視点、心理学的視点、宗教的視点、スピリチュアル的視点、ほかにも多くの視点があるでしょうが、多くは「許すことが大切だ」と教えています。これは教えです。

その許しという行為を選択するのは私達人間ですが、私達には感情があり、言葉と思考がありますから、「許す」と言う事が正解だからそれに従って「私は許す」と言うけれど、心の奥底ではちっとも許していない、恨みを持ち、怒り続けている、行動には移さないが復讐心がある。ということがあることが実際だと思います。

それは、私自身が許すことが大切だと思っていても、自分を誤魔化すことをやめてしっかりと自分を感じた時に、「なかなか許せない。」ことがあったからです。

ですから、私はそんな自分の体験から最初に行う事は「自分を許すことが先決だ」と考えるようになりました。

相手を許せない時に、自分も許していないことが心の中でセットになっている事あります。後程ご紹介する書籍から例を引用すると(私にも心当たりがあります)

  • DVを受けた
  • 嘘をつかれた。騙された。
  • 侮辱された
  • 人格否定をうけた
  • 愛されなかった というようなことです。

これらの加害者を恨んでいる、憎んでいる、許せない自分がいる時に、そんな目にあった自分は被害者だと思いつつも、そんな目に合った自分が人間として欠陥があると感じる時があります。

抵抗などできない幼少期のこういった出来事ですら、自分の存在を欠陥だと感じてしまう心理作用を起こしてしまいます。恨みつつ、憎みつつ、絶対に許さないと心の奥底で思う一方で、被害者が罪悪感や無力感、自己無価値観に苦しんでいる姿は本当に切なく感じます。

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許せない自分は人として劣っているのか?

感情をため込んでいたけれど、自分の心に向き合い始めたら、すべてを あっという間に許せた。こうであればそれはそれで喜べることですが、

今まで忘れたふり、なにも感じなかったふりをしていたことは、それらと折り合いがつくまでは見て見ぬふりをしていた時間が長ければ長いほど 自然には解消されないと言われています。自然治癒と自己努力の両方が必要だと思っています。

興味深いことに、私があまりに人間の尊厳を傷つけられた経験、記憶などについては、心のケアをしキネシオロジーテストではONになり、体の内面を感じてもサッパリとしておりますが、じゃあ許しているのか? と自己対話をしますと、そうでもないのです。

ストレス反応がなくなる、心体カウンセリング™ で手当をすることと、「許す」ということは=(イコール)ではない時もあるようです。

その時の気持ちは思い出せるけど(時には思い出せないけど)、それは既に心体にダメージを与えるほどの影響力はないようだ。というのが私の体験です。

こんな体験から相手を許すことより先に、自分を許すという事が大切ではないか?と考え、心体カウンセリング™ の際も優先順位は「自分への許し」だということがほとんどです。

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では、虐待などの加害者への許しをどう考えるのか?

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

とても多くの方に読まれている本です。この書籍の九章に 許しについて著者の考えが書かれています。

この考え方を選択するか、またはこの著者も書いている通り、宗教的、哲学的、今までの多くの心理学的な「許すことが大切だ」という選択をするのかは、あなたが選ぶことだとは思いますが、私の意見を書かせていただくならば相手を許すことも大切ですが、自分を許すことも優先順位は高いという事です。自分を許すことが先だという事も本当に多いです。

共依存などの場合は、自分を許せないからこそ苦しいという事が起きます。

そして大切なのは「許し」とは何を指しているのか? です。

私は 許し=信用 という構図を無意識に考えていた自分に気がつきました。許したら信用しなくてはいけないと考えていたのです。許しても、相手を信用することは付録でつける必要はないのにです。ここに気がついてから楽になりました。

そして、先ほど紹介した書籍の著者は、許しの定義を「復讐しない」ことと「罪を免除する」ことを混同しなくてもよいと書いています。

許しという言葉が独り歩きしていますが、私が今までのコラムでも度々書いたことの繰り返しになりますが、その言葉が何を意味しているのか? を自分の中に落とし込むことが大切ですね。自分の真意に気がつくこと。

とても大切なことです。

「許せない自分は人間ができていない」

この思考は 不当な要求に応えきれない自分を責める という思考と同じだったりしませんか?

許す?

許さない?

許せない?

あなたの正直な心はどこにありますか? 本音はなんと言っていますか?

許しました。許します。と言った(言っている)けれど、あなたの内面ではまだその準備ができてないならば その時期まで保留にしたらどうですか? 他の多くのことと同じで、焦ってもどうにもならないことの1つです。

許しとは自分の内面で起こる作用です。認めてもらうために表面上言葉にすることではないですよね? 繰り返しますが、認めてもらうために許していますという事は、外的環境に合わせただけの行為です。

自己一致の時を迎える

自己一致とは段階があり、「あぁ 許しているつもりだったけど、まだ許していないのだな」という段階もあります。その後は・・・・ 個々の許しまでの時間が必要なのだと思います。

それが、総合心体カウンセリング™集中ケアシャドウの統合を行う事で自己一致の進行が早まるように思いますが、これこそ宗教の信仰をお持ちの方は回復サポートをそこにお求めになるでしょうし、自助グループもあります。哲学に答えを求める方はそういう選択を自分がされたということです。

私は あぁまだ許していないんだな。と気がつく前からすっかり人生は生き易くなっていました。そして気がついた今、やはり徐々に癒えています。それはセルフケアも行っていますし、他者の力を借りた自分のメンテナンスも行っているからです。

将来、西暦何年何月何日に 完全に許す という状態になるかわかりませんが、1つ言えることは、わたしの心の中は今それを思い出しても穏やかであるという事です。

人間は、本心にないけれど無理やりに許すということはできるのでしょうか? そんな自分を認めることから始めれば良いんだと思っています。

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